この前、テレビドラマの再放送をやっているのを見て、不意に読みたくなって読みました。
ちなみに、ドラマでは、第8話が大好きです。
亜也がたまたま一人だけいなくなった教室で、本当はあやの援護をするのが大変だ、という結論になりかけた場面で、麻生ハルト(漢字忘れた・・・)が反論して教室を飛び出して、亜也の車椅子を押して、そして亜也がハルトにさよならをいう場面。
さよならをいう亜也も強いけれど、教室で一人しっかりと亜也を見て、亜也を応援する彼が、とてもかっこよかった。
一人反論するのがかっこいいというのもあるけど、それ以上に、弱者をかばうのでもなく、えこひいきするのでもなく、かなり公正な立場からみんなに矢を向ける彼が、とてもまっすぐな人に見えた。
「みんな、ずるいよ・・・」
あ、話がそれました。
これも、原作を観る前にドラマを見てしまいました。
でも、テレビはテレビでやっぱりすごい。
原作から、あそこまで話を膨らませられるのだから。
原作にはない部分で、いろいろ感動したし、原作を読んだだけではぜんぜん考えなかったことも考えさせられたし、いい原作+良い構成で出来たものは、見る価値がある、と思いました。
といっても、結局のところ私がテレビドラマを好きだってことだけですが・・・
この本のタイトルになった部分や、最後の部分の亜也の書いた詩の中身とか、すごい力のこもった文章になってます。
現実が残酷すぎて・・・とか、1リットルの涙とか、まともに生活している限り、絶対に使わない語彙が出てきます。
彼女の、脊髄小脳変性症が、知能には影響せず、ひたすら体が弱っていくということから、彼女は意識は正常なまま、ひたすら体が動かなくなっていって、最後には寝たきりの状態になってしまいます。
これほど残酷な病気はない。。。
そう思います。
同時に、今年の春、教授と話していたときの話を思い出しました。
特にアメリカで議論になっていることだそうですが、ほとんど植物状態になっている障害者を生かしておく意味はあるのか?ということ。
少なくとも健常者側から見る限り、ただ生きている、生命活動を行っているというだけのことで、人間らしく生きているわけではない、そういう彼らを生かしておく意味は何だ?という疑問です。
私自身は、生きている以上行き続けること事態に意味はあると思いたい人間ですが、じゃあ、その目的は何か?いいことはあるの?ときかれると、まったくわかりません。
人間は、生きるか死ぬか、という選択を自分でできることが人間として生きることだと考えていました。
ただ、重度の障害者は、自分が生きていることがつらい、とか、自殺したいとか、考えられるとは限らない・・・
もちろん、自殺するということは自分だけで決めていいことではないのはもちろんですが、それを選択肢として考えることが出来るということが人間の人間らしいところではないかと・・・
ふとそう感じたとき、いかに自分が健常者として生きてきたか、障害者のことを考えられなかったかを思い知らされた気がしました。
私自身、重度の障害者には数えるほどしか会ったことがありません。かかわったことがある人は、さらにほんの一握りです。
「人間、生きてさえいれば、もう勝ったようなもの」
私の好きな大河ドラマの一節です(うろ覚えですが・・・)
結局、これも健常者の考え方ですね。
まさにその日を生き延びることに必死なひと(生活の問題ではなくて、生存の問題として)もいるのに、贅沢な話ですね、生きるか死ぬかを選べるというのは・・・
ながながとすみません。(つーか、ここまで読んでくれた人いるのかな??)
いらっしゃたなら・・・
ありがとうございました
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